2015年5月29日金曜日

東京の灯よいつまでも(新川二郎) 昭和39年

東京の灯よいつまでも(新川二郎) 昭和39年 
作詞:藤間哲朗、作曲:佐伯としを、歌:新川二郎、新川二朗

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に「東京の灯よいつまでも」が大ヒットした。若者は東京から田舎へ帰り、はなかくせつない恋を思い出しているのだろうか。 

昭和39年のことだから若者が羽田ロビーから飛行機で外国へ行ったり、国内線で故郷に帰るような余裕はなかったであろう。たぶん若者は「はとバス観光」でいったか飛行機を見物しながらのデートを楽しんだことを思い出しているのであろう。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会
  ライブ(京成船橋駅前)

1 雨の外苑 夜霧の日比谷
  今もこの目に やさしく浮かぶ
  君はどうして いるだろか
  ああ 東京の灯(ひ)よ いつまでも

2 すぐに忘れる 昨日(きのう)もあろう
  あすを夢みる 昨日もあろう
  若い心の アルバムに
  ああ 東京の灯よ いつまでも

3 花の唇 涙の笑顔
  淡い別れに ことさら泣けた
  いとし羽田の あのロビー
  ああ 東京の灯よ いつまでも

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享受昭和浪漫的会,帝大生ゆめじ&青空ぴーまん

ゴンドラの唄(松井須磨子) 大正4年

ゴンドラの唄(松井須磨子)      
吉井勇作詞、中山晋平作曲

今から100年前、大正4年(1915) 、芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として松井須磨子が歌った。大正時代の流行歌。大正3年の『カチューシャの唄』も中山晋平作曲でこれも流行した。



舞台での評判を受けてレコードが発売されるとカフェーやバーの蓄音機で演奏され人気を得た。続いて演歌師と呼ばれたストリート・ミュージシャン達が歌本を売りながら、全国津々浦々の街角で歌う事で一挙に広まり、国民的大ヒット曲となった。まだラジオの放送も始まっていない時代であった。

そして「ゴンドラの唄」は大正時代のヒットだけで終わらなかった。37年後の黒澤明監督映画『生きる』の劇中歌としても有名である。主人公が、雪の降る夜にブランコをこぎながら、この歌を口ずさんだ。(昭和27年(1952年)東宝映画)

また、NHK連続テレビ小説「マッサン」(2014年)の劇中歌としてもゴンドラの唄が歌われた。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生3名)

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよう 舟のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享受昭和浪漫的会,帝大生ゆめじ&青空ぴーまん

2014年11月9日日曜日

大船橋音頭(三波春夫) 昭和61年

大船橋音頭(三波春夫)昭和61年 

バブルが始まり景気がいい頃の船橋市民の歌、
ご当地音頭、ご当地ソング、ご当地Son­g

昭和61年11月(1986) 依頼盤「大船橋音頭」三波春夫

「大船橋音頭」は市制施行50周年記念市民愛唱歌であり、ご当地音頭、ご当地ソングである。

千葉県には船橋市と千葉市の二つしかないぐらいの威勢のいい歌詞、「花の東京もすぐ隣­」がよい。

当時の人口は約50万人であったが約30年後(2014年)の人口は約60­万人になった。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (2014年11月 京成船橋駅前ライブ)


「大船橋音頭」(三波春夫)

住めば都とどなたが言った
海の匂いと緑の風が
今日の幸せ呼んでいる

人の心に虹かけて
人の心に橋かけて
広がる船橋大きく豊かに
どどんと、どどんと 五十万(六十万)

西に東に南へ北へ
伸びるレイスは未来を語る
花の東京もすぐ隣

人の心に虹かけて
人の心に橋かけて
広がる船橋大きく豊かに
どどんと、どどんと 五十万(六十万)

船橋市には,ご当地音頭が5曲もある.
船橋音頭(霧島昇/久保幸江) 昭和26年(1951)
新船橋音頭(三橋美智也&大月みやこ) 昭和43年(1968)
船橋手拍子音頭(水前寺清子) 昭和54年(1979)
大船橋音頭(三波春夫) 昭和61年(1986)
春夏秋冬船橋音頭(上見舞/­今井イワオ)  平成22年(2010)

JR船橋駅,京成船橋駅,東武船橋駅,西船橋駅,西武船橋店,東武船橋店,船橋フェイ­スビル,船橋FACEビル,船橋スクエア21ビル,本町,湊町,船橋駅北口おまつり広­場,天沼弁天池公園 

ららぽーと東京ベイ,イオンモール船橋,船橋港親水公園,ふなばし三番瀬海浜公園,ふ­なばしアンデルセン公園,行田公園,船橋大神宮,中山競馬場

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享­受昭和浪漫的会,帝大生ゆめじ&青空ぴーまん

2014年11月8日土曜日

「なんで船橋なみだ雨」 ご当地ソング

「なんで船橋なみだ雨」 バイオリン演歌ライブ

昭和を思い出してしまう歌謡曲(替歌) ご当地ソング

「なんで船橋なみだ雨」 「なんで船橋涙雨」

千葉県の船橋は江戸時代から港町で宿場町であった。そして船橋港はいまも大型船(最大­3万トン船舶)も着岸するし漁港でもある。そこで替歌として港町「船橋」をバイオリン­演歌で歌ってみた。

船橋で会って船橋で過ごした思い出の街
恋の終わりを告げるかのごとく降ってくる雨!

「なんで、なんで!」…未練と嘆きの心、はかなくてせつない女心を歌う。

        バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会     



JR船橋駅,京成船橋駅,東武船橋駅,西船橋駅,西武船橋店,東武船橋店,船橋フェイ­スビル,船橋FACEビル,船橋スクエア21ビル,本町,湊町,船橋駅北口おまつり広­場,天沼弁天池公園 

ららぽーと東京ベイ,イオンモール船橋,船橋港親水公園,ふなばし三番瀬海浜公園,ふ­なばしアンデルセン公園,行田公園,船橋大神宮,中山競馬場

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享­受昭和浪漫的会

2014年11月4日火曜日

ハイカラ節(自転車節、チリリン節)神長瞭月 明治41年


ハイカラ節 作詞・作曲:神長瞭月 明治41年  自転車節 チリリン節

ハイカラとは西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す。
ハイカラをもじって対応させた言葉が「蛮カラ(バンカラ)」で風采や言動が粗野なことを意味する。

ハイカラさんといえば着物に袴姿の女学生を思い出す。今は女子大学生の卒業式の服装でよく知られている。

ハイカラは、洋装した男性の襟、カラーが高い(High Collor)からきているとのことである。最先端のおしゃれだと見栄を張る人のこと、舶来かぶれ、生意気な人を「ハイカラ」と最初はいっていたらしい。その後は最新流行のものやおしゃれなものといい意味で使われるようになった。

自転車も珍しく大変高価なものであったのでレンタル(時間貸し)が行われた。
当時の引札(ちらし、ビラ)には女学生が自転車に乗って疾走している絵がよく見られる。

ハイカラ女学生と蛮カラな旧制高等学校の学生が恋に落ちる物語はよくある話であった。

ハイカラ節には明治40年代(1907年~1912年頃)に流行した当時のハイカラ風俗が歌い込まれている。


     バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

ゴールド眼鏡の ハイカラは
都の西の 目白台
女子大学の 女学生
片手にバイロン ゲーテの詩
口には唱える 自然主義
早稲田の稲穂が サーラサラ
魔風恋風 そよそよと

チリリンリンと やってくるは
自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手放した シャレ男
あっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
こっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
それあぶないといってるまに
ころがり落ちた


ハイカラ節にはたくさんの東京の女子専門学校の女学生が歌われている。

「ゴールド目鏡のハイカラは、都の西の目白台」:日本女子大学
「天女の如くささやくは、青葉がくれの上野山、音楽学校の女学生:東京芸大
「リリー香高きドーターは、花の本郷龍岡町、日本女学校のスチユーデント」:相模女子大学
「菫とまがふ御姿は その名も猛き虎の門 高等女学校のスチューデント」:東京女学館

明治時代に大学は「帝国大学令」によって定められた帝国大学しかなかった。その他はいろいろなレベルの専門学校が勝手に「大学」と名前をつけていた状態であった。

帝国大学以外の大学は大正7年の「大学令」に基づいて基準が定められて設置された。明治時代に創立された「日本女子大学」は名前は当時から女子大学であったが戦前は専門学校であった。


書生節 バイオリン演歌 大正演歌  昭和歌謡  昭和演歌師 平成演歌師 昭和ロマンを楽しむ会 享受昭和浪漫的会

2014年10月21日火曜日

津軽海峡・冬景色(石川さゆり)  昭和52年

津軽海峡・冬景色(石川さゆり) 
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし 歌:石川さゆり

1977年(昭和52年)に日本コロムビアより発売された。

昔、大阪方面から北海道へ行くときに夜行列車(特急白鳥)で日本海側を青森まで行くのが楽なのでそうしたことがあった。しかし、当日事故か何かで運休になり振り替え輸送された。

新幹線で東京駅まで行ってそここから上野駅までは駅員さんに誘導されて山手線(普通電車)で上野駅に着きやっと青森駅行きの夜行列車に乗った記憶がある。大きな荷物を持ったたくさんの旅行客が普通電車で移動したのが思い出された。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生3名)

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
息でくもる窓のガラスふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色

昭和ロマンを楽しむ会,昭和浪漫,昭和ロマン,昭和演歌,大正演歌, 懐メロ, ナツメロ,バイオリン演歌,書生節,昭和演歌師,平成演歌師,昭和歌謡,戦時歌謡,享受昭和浪漫的会

2014年8月16日土曜日

バイオリン演歌師 楽四季一生 CD「ヴァイオリン演歌二」 完成

CD「ヴァイオリン演歌二」 明治・大正 街角の流行り唄 楽四季一生

バイオリン演歌師 楽四季一生が2枚目のCDを完成して発売中である。今回は27曲入りという大作である。昭和ロマンを楽しむ会もCDやDVDを作成したことがあるが相当の努力と忍耐が必要な作業である。

27曲を演奏するだけでなく、ジャケットデザインや歌詞の校正と作成などいろいろ悩ましい作業があったはずである。その努力と根性に敬服した。バイオリン演歌師仲間としては大変うれしい。

平成8年に石田一松の弟子で最後の演歌師(テキヤとして)といわれた桜井敏雄がなくなった。彼は大道芸研究会に属し楽四季一生の師でもあった。

大正演歌をギターや三味線で演奏している方はいるが、本物のバイオリン演歌のCD記録としては桜井敏雄さんが残したCD記録の次になるものではないか(プロ、アマは別として、もちろんだれでもプロ宣言すればプロになることはできるのだが)。

前作はスタジオ録音でいろいろ録音技術を使っていたみたいだが今回のCDは施設でのライブ演奏を録音したものが多く収録されていた。われわれ演歌師からすると聞きなれた音源で親しみが持てた。個人的にはいかにもCDの音というよりライブ録音のほうが好きである。

さて27曲とはどんなものかすべて下記に記載しておく。

鉄道唱歌、ノーエ節、真白き富士の根、ダイナマイト節、東雲節(ストライキ節)、ラッパ節、戦友、美しき天然(男三郎の唄)、軍国少年の唄ーああわからない、ハイカラソング(ハイカラ節・自転車節)
スカラーソング(学生節)、まっくろけ節、カチューシャの唄、ゴンドラの唄、バラの唄、さすらいの唄、東京節(パイノパイノパイ)、金色夜叉の唄、金金節、のんき節、船頭小唄、復興節、籠の鳥、ベニスの舟歌、天国に結ぶ恋、オッぺケペー節、感謝の唄

「天国に結ぶ恋」だけが昭和歌謡である。「感謝の唄」は施設で最後に歌う歌として楽四季一生が作詞・作曲したもの。

私の好きな歌でもうあまり歌う機会のなくなってしまった大陸をさまよう「さすらいの唄」が入っているのがよい。

27曲入りバイオリン演歌CD「ヴァイオリン演歌二」に興味のある方は楽四季一生HPからメールでお問い合わせください。

バイオリン演歌 書生節 大正演歌 演歌師