2014年2月14日金曜日

満州娘(服部富子) バイオリン演歌・書生節 昭和13年

満州娘(服部富子) バイオリン演歌・書生節 昭和13年     
作詞:石松秋二、作曲:鈴木哲夫、歌:服部富子


服部富子は宝塚歌劇団に所属していたが歌手に転向した。作曲家であった服部良一の実妹







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バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (2014年2月 介護施設において)



曲名は知らなくても「王(ワン)さん待ってて ちょうだいネ」のフレーズは知っている方が多い。


現在、清王朝の末裔である満州民族は中国では少数民族になってしまった。満州語を話したり読めたりする人も少なくなっており、この歌に歌われた満州娘たちはいまどうなっているのだろうか。

2000年の人口調査では中国13億人のうち、満州民族(満族)人口は10,387,958人と、約1%程度しかいない。

私の父は3月に高等専門学校を卒業して銀行に就職したが徴兵猶予がなくなっていたためその年の12月に徴兵されて翌年1月に現役兵として入隊(たった9ヶ月の銀行員)。4月に日本を出港して同月に朝鮮の羅津(ラジン)港に上陸。たぶんそこから鉄道で東満州へ入ったと思われる。 その12月には満州にあった奉天甲種幹部候補生隊へ入隊、その後各地を転戦して終戦まで軍隊にいた。一度も除隊されず職業軍人以外では最古参の下っ端将校であった。軍隊は組織であり、勇ましい軍人だけでなく、父のような徴兵された温和な将校もまとめるためには必要とされたようである。
大変な時代であっただろうが満州は父の青春時代を過ごした場所、今でいえば軍隊が社会人教育、修士課程教育を受けた場所であろうか。
父の軍人手帳には、今はなくなった地名だが満州の「東安」、「密山」の防衛等が履歴に記載されている。以下軍人履歴


(1年目)
1月 (歩兵二等兵) 現役兵として入隊
4月 日本を出港して朝鮮の羅津港経由で朝鮮国境を越えて満州派遣
5月 (歩兵一等兵) 歩兵科幹部候補生に採用
7月 (歩兵上等兵) 甲種幹部候補生を命ず
12月 奉天甲種幹部候補生隊へ入隊
(2年目)
2月 (歩兵軍曹)
6月 (歩兵曹長) 奉天甲種幹部候補生隊卒業 見習士官を命ず
11月 (陸軍少尉)

徴兵から4年目に中尉に昇進、終戦時(昭和20年8月)にポツダム大尉となる。昭和21年3月に博多に上陸し復員、召集解除。

軍歴の地名としては「東安」、「密山」、「奉天」、「旅順」などが出てくる。

満州では真っ白な軍服を着てスキーで歩行訓練をしている写真が残っている。今は中国(漢民族)化してしまっているだろうが満州とはどんな場所であろうか、一度は行ってみたいものである。

奉天:現在の瀋陽市わたしゃ十六 満州娘 春よ三月 雪解けに
迎春花(インチュンホワ)が 咲いたなら
お嫁に行きます 隣村 王(ワン)さん待ってて ちょうだいネ

ドラや太鼓に 送られながら 花の馬車(マーチョ)に 揺られてく
恥かしいやら 嬉しやら 
お嫁に行く日の 夢ばかり 王さん待ってて ちょうだいネ

雪よ氷よ 冷たい風は 北のロシヤで 吹けばよい
晴着(はれぎ)も母と 縫うて待つ
満州の春よ 飛んで来い 王さん待ってて ちょうだいネ

迎春花:黄梅(おうばい)の花

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