2015年5月29日金曜日

「なんで船橋なみだ雨  千葉県船橋ご当地ソング

昭和を思い出してしまう歌謡曲(替歌)  ご当地ソング,ご当地Song

「なんで船橋なみだ雨」 「なんで船橋涙雨」

千葉県の船橋は江戸時代から港町で宿場町であった。そして船橋港はいまも大型船(最大­­3万トン船舶)も着岸するし漁港でもある。そこで替歌として港町「船橋」をバイオリ­ン­演歌で歌ってみた。

船橋で会って船橋で過ごした思い出の街、ララポート、船橋港、三番瀬・・・
恋の終わりを告げるかのごとく降ってくる雨!

「なんで、なんで!」…未練と嘆きの心、はかなくてせつない恋心を歌う。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

(2014年12月26日 船橋市公認ライブ「まちかど音楽ステージ」 京成船橋駅前)


JR船橋駅,京成船橋駅,東武船橋駅,西船橋駅,西武船橋店,東武船橋店,船橋フェイ­­スビル,船橋FACEビル,船橋スクエア21ビル,本町,湊町,船橋駅北口おまつり­広­場,天沼弁天池公園 

ららぽーと東京ベイ,イオンモール船橋,船橋港親水公園,ふなばし三番瀬海浜公園,ふ­­なばしアンデルセン公園,行田公園,船橋大神宮,中山競馬場

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東京のバスガール(初代コロムビア・ローズ)  昭和32年



東京のバスガール(初代コロムビア・ローズ) 昭和32年 

作詞:丘灯至夫、作曲:上原げんと、歌:初代コロムビア・ローズ

東京のバスガールは昭和32年(1957)のヒット曲。翌年、昭和33年に日活映画「東京のバスガール」が製作され、コロムビア・ローズも出演した。

子供の頃、観光バスに乗ると必ずこの歌をバスガイドが歌ってくれた記憶がある。コロムビア・ローズは子供心にもきれいな人だと思っていた。

歌詞の内容から観光バス(はとバス)のガイドだと思っていたが歌詞の一部に路線バスかなあと思わせる部分もある。

「昨日こころに とめた方 今日はきれいな 人つれて 夢ははかなく 破れても・・・・」

こういうことは通勤・通学でもあったものだ。感じのいい女性だなあと毎日ながめていたら、ある日、突然、男性と一緒に乗ってきて誰だろうと考えたりしたこともある。兄弟、それともーーー

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 
                     (京成船橋駅前ライブ)

1 若い希望も 恋もある
  ビルの街から 山の手へ
  紺の制服 身につけて
  私は東京の バスガール
  発車オーライ 明るく明るく 走るのよ

2 昨日こころに とめた方
  今日はきれいな 人つれて
  夢ははかなく 破れても
  くじけちゃいけない バスガール
  発車オーライ 明るく明るく 走るのよ

3 酔ったお客の 意地わるさ
  いやな言葉で どなられて
  ほろり落とした ひとしずく
  それでも東京の バスガール
  発車オーライ 明るく明るく 走るのよ

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東京の灯よいつまでも(新川二郎) 昭和39年

東京の灯よいつまでも(新川二郎) 昭和39年 
作詞:藤間哲朗、作曲:佐伯としを、歌:新川二郎、新川二朗

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に「東京の灯よいつまでも」が大ヒットした。若者は東京から田舎へ帰り、はなかくせつない恋を思い出しているのだろうか。 

昭和39年のことだから若者が羽田ロビーから飛行機で外国へ行ったり、国内線で故郷に帰るような余裕はなかったであろう。たぶん若者は「はとバス観光」でいったか飛行機を見物しながらのデートを楽しんだことを思い出しているのであろう。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会
  ライブ(京成船橋駅前)

1 雨の外苑 夜霧の日比谷
  今もこの目に やさしく浮かぶ
  君はどうして いるだろか
  ああ 東京の灯(ひ)よ いつまでも

2 すぐに忘れる 昨日(きのう)もあろう
  あすを夢みる 昨日もあろう
  若い心の アルバムに
  ああ 東京の灯よ いつまでも

3 花の唇 涙の笑顔
  淡い別れに ことさら泣けた
  いとし羽田の あのロビー
  ああ 東京の灯よ いつまでも

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ゴンドラの唄(松井須磨子) 大正4年

ゴンドラの唄(松井須磨子)      
吉井勇作詞、中山晋平作曲

今から100年前、大正4年(1915) 、芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として松井須磨子が歌った。大正時代の流行歌。大正3年の『カチューシャの唄』も中山晋平作曲でこれも流行した。



舞台での評判を受けてレコードが発売されるとカフェーやバーの蓄音機で演奏され人気を得た。続いて演歌師と呼ばれたストリート・ミュージシャン達が歌本を売りながら、全国津々浦々の街角で歌う事で一挙に広まり、国民的大ヒット曲となった。まだラジオの放送も始まっていない時代であった。

そして「ゴンドラの唄」は大正時代のヒットだけで終わらなかった。37年後の黒澤明監督映画『生きる』の劇中歌としても有名である。主人公が、雪の降る夜にブランコをこぎながら、この歌を口ずさんだ。(昭和27年(1952年)東宝映画)

また、NHK連続テレビ小説「マッサン」(2014年)の劇中歌としてもゴンドラの唄が歌われた。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生3名)

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよう 舟のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

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