2014年11月9日日曜日

大船橋音頭(三波春夫) 昭和61年

大船橋音頭(三波春夫)昭和61年 

バブルが始まり景気がいい頃の船橋市民の歌、
ご当地音頭、ご当地ソング、ご当地Son­g

昭和61年11月(1986) 依頼盤「大船橋音頭」三波春夫

「大船橋音頭」市制施行50周年記念市民愛唱歌であり、ご当地音頭、ご当地ソングである。

千葉県には船橋市と千葉市の二つしかないぐらいの威勢のいい歌詞、「花の東京もすぐ隣­」がよい。

当時の人口は約50万人であったが約30年後(2014年)の人口は約60­万人になった。


バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (2014年11月 京成船橋駅前ライブ)


「大船橋音頭」(三波春夫)

住めば都とどなたが言った
海の匂いと緑の風が
今日の幸せ呼んでいる

人の心に虹かけて
人の心に橋かけて
広がる船橋大きく豊かに
どどんと、どどんと 五十万(六十万)

西に東に南へ北へ
伸びるレイスは未来を語る
花の東京もすぐ隣

人の心に虹かけて
人の心に橋かけて
広がる船橋大きく豊かに
どどんと、どどんと 五十万(六十万)

船橋市には,ご当地音頭が5曲もある.
船橋音頭(霧島昇/久保幸江) 昭和26年(1951)
新船橋音頭(三橋美智也&大月みやこ) 昭和43年(1968)
船橋手拍子音頭(水前寺清子) 昭和54年(1979)
大船橋音頭(三波春夫) 昭和61年(1986)
春夏秋冬船橋音頭(上見舞/­今井イワオ)  平成22年(2010)

JR船橋駅,京成船橋駅,東武船橋駅,西船橋駅,西武船橋店,東武船橋店,船橋フェイ­スビル,船橋FACEビル,船橋スクエア21ビル,本町,湊町,船橋駅北口おまつり広­場,天沼弁天池公園 

ららぽーと東京ベイ,イオンモール船橋,船橋港親水公園,ふなばし三番瀬海浜公園,ふ­なばしアンデルセン公園,行田公園,船橋大神宮,中山競馬場

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2014年11月8日土曜日

「なんで船橋なみだ雨」 ご当地ソング

「なんで船橋なみだ雨」 バイオリン演歌ライブ

昭和を思い出してしまう歌謡曲(替歌) ご当地ソング

「なんで船橋なみだ雨」 「なんで船橋涙雨」

千葉県の船橋は江戸時代から港町で宿場町であった。そして船橋港はいまも大型船(最大­3万トン船舶)も着岸するし漁港でもある。そこで替歌として港町「船橋」をバイオリン­演歌で歌ってみた。

船橋で会って船橋で過ごした思い出の街
恋の終わりを告げるかのごとく降ってくる雨!

「なんで、なんで!」…未練と嘆きの心、はかなくてせつない女心を歌う。

        バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会     



JR船橋駅,京成船橋駅,東武船橋駅,西船橋駅,西武船橋店,東武船橋店,船橋フェイ­スビル,船橋FACEビル,船橋スクエア21ビル,本町,湊町,船橋駅北口おまつり広­場,天沼弁天池公園 

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2014年11月4日火曜日

ハイカラ節(自転車節、チリリン節)神長瞭月 明治41年


ハイカラ節 作詞・作曲:神長瞭月 明治41年  自転車節 チリリン節

ハイカラとは西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す。
ハイカラをもじって対応させた言葉が「蛮カラ(バンカラ)」で風采や言動が粗野なことを意味する。

ハイカラさんといえば着物に袴姿の女学生を思い出す。今は女子大学生の卒業式の服装でよく知られている。

ハイカラは、洋装した男性の襟、カラーが高い(High Collor)からきているとのことである。最先端のおしゃれだと見栄を張る人のこと、舶来かぶれ、生意気な人を「ハイカラ」と最初はいっていたらしい。その後は最新流行のものやおしゃれなものといい意味で使われるようになった。

自転車も珍しく大変高価なものであったのでレンタル(時間貸し)が行われた。
当時の引札(ちらし、ビラ)には女学生が自転車に乗って疾走している絵がよく見られる。

ハイカラ女学生と蛮カラな旧制高等学校の学生が恋に落ちる物語はよくある話であった。

ハイカラ節には明治40年代(1907年~1912年頃)に流行した当時のハイカラ風俗が歌い込まれている。


     バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

ゴールド眼鏡の ハイカラは
都の西の 目白台
女子大学の 女学生
片手にバイロン ゲーテの詩
口には唱える 自然主義
早稲田の稲穂が サーラサラ
魔風恋風 そよそよと

チリリンリンと やってくるは
自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手放した シャレ男
あっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
こっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
それあぶないといってるまに
ころがり落ちた


ハイカラ節にはたくさんの東京の女子専門学校の女学生が歌われている。

「ゴールド目鏡のハイカラは、都の西の目白台」:日本女子大学
「天女の如くささやくは、青葉がくれの上野山、音楽学校の女学生:東京芸大
「リリー香高きドーターは、花の本郷龍岡町、日本女学校のスチユーデント」:相模女子大学
「菫とまがふ御姿は その名も猛き虎の門 高等女学校のスチューデント」:東京女学館

明治時代に大学は「帝国大学令」によって定められた帝国大学しかなかった。その他はいろいろなレベルの専門学校が勝手に「大学」と名前をつけていた状態であった。

帝国大学以外の大学は大正7年の「大学令」に基づいて基準が定められて設置された。明治時代に創立された「日本女子大学」は名前は当時から女子大学であったが戦前は専門学校であった。


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2014年10月21日火曜日

津軽海峡・冬景色(石川さゆり)  昭和52年

津軽海峡・冬景色(石川さゆり) 
作詞:阿久悠、作曲:三木たかし 歌:石川さゆり

1977年(昭和52年)に日本コロムビアより発売された。

昔、大阪方面から北海道へ行くときに夜行列車(特急白鳥)で日本海側を青森まで行くのが楽なのでそうしたことがあった。しかし、当日事故か何かで運休になり振り替え輸送された。

新幹線で東京駅まで行ってそここから上野駅までは駅員さんに誘導されて山手線(普通電車)で上野駅に着きやっと青森駅行きの夜行列車に乗った記憶がある。大きな荷物を持ったたくさんの旅行客が普通電車で移動したのが思い出された。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生3名)

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
息でくもる窓のガラスふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色

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2014年8月16日土曜日

バイオリン演歌師 楽四季一生 CD「ヴァイオリン演歌二」 完成

CD「ヴァイオリン演歌二」 明治・大正 街角の流行り唄 楽四季一生

バイオリン演歌師 楽四季一生が2枚目のCDを完成して発売中である。今回は27曲入りという大作である。昭和ロマンを楽しむ会もCDやDVDを作成したことがあるが相当の努力と忍耐が必要な作業である。

27曲を演奏するだけでなく、ジャケットデザインや歌詞の校正と作成などいろいろ悩ましい作業があったはずである。その努力と根性に敬服した。バイオリン演歌師仲間としては大変うれしい。

平成8年に石田一松の弟子で最後の演歌師(テキヤとして)といわれた桜井敏雄がなくなった。彼は大道芸研究会に属し楽四季一生の師でもあった。

大正演歌をギターや三味線で演奏している方はいるが、本物のバイオリン演歌のCD記録としては桜井敏雄さんが残したCD記録の次になるものではないか(プロ、アマは別として、もちろんだれでもプロ宣言すればプロになることはできるのだが)。

前作はスタジオ録音でいろいろ録音技術を使っていたみたいだが今回のCDは施設でのライブ演奏を録音したものが多く収録されていた。われわれ演歌師からすると聞きなれた音源で親しみが持てた。個人的にはいかにもCDの音というよりライブ録音のほうが好きである。

さて27曲とはどんなものかすべて下記に記載しておく。

鉄道唱歌、ノーエ節、真白き富士の根、ダイナマイト節、東雲節(ストライキ節)、ラッパ節、戦友、美しき天然(男三郎の唄)、軍国少年の唄ーああわからない、ハイカラソング(ハイカラ節・自転車節)
スカラーソング(学生節)、まっくろけ節、カチューシャの唄、ゴンドラの唄、バラの唄、さすらいの唄、東京節(パイノパイノパイ)、金色夜叉の唄、金金節、のんき節、船頭小唄、復興節、籠の鳥、ベニスの舟歌、天国に結ぶ恋、オッぺケペー節、感謝の唄

「天国に結ぶ恋」だけが昭和歌謡である。「感謝の唄」は施設で最後に歌う歌として楽四季一生が作詞・作曲したもの。

私の好きな歌でもうあまり歌う機会のなくなってしまった大陸をさまよう「さすらいの唄」が入っているのがよい。

27曲入りバイオリン演歌CD「ヴァイオリン演歌二」に興味のある方は楽四季一生HPからメールでお問い合わせください。

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2014年7月11日金曜日

「徳光和夫の名曲にっぽん」 に昭和ロマンを楽しむ会」が出演!

「徳光和夫の名曲にっぽん」 に昭和ロマンを楽しむ会」が出演! (BSジャパン)

<昭和歌謡人>

大衆娯楽が生まれた浅草をめぐり、歌謡曲の原点を学ぶ旅

* 2014年7月30日(水) 21:00放送 BSジャパン
徳光さん、田川寿美さん、水森かおりさん、らのリクエストで昭和ロマンを楽しむ会が隅田川遊歩道で「街のサンドイッチマン」を熱唱

その後、歌手の皆さんと一緒に「高原列車は行く」をコラボ演奏!

その他に日本のなつかしい大道芸、ガマの油売り、南京玉すだれが出てきます。

* 2014年8月6日(水) 21:00放送 BSジャパン
旅を終えて隅田川の屋形船で宴会
「はやぶさ」が書生姿で「東京節」を歌い寸劇
バイオリン演歌演奏:昭和ロマンを楽しむ会

出演:歌手(山川 豊、田川寿美、水森かおり、氷川きよし、岩佐美咲AKB48、はやぶさ)、
MC(徳光和夫、あさみちゆき)

昭和ロマンを楽しむ会 (バイオリン演歌・書生節) 
昭和を中心とした演歌・唱歌をヴァイオリンとウクレレ伴奏で歌い、また皆様にも歌っていただいているグループ 

出演その他お問い合せ先:昭和ロマンを楽しむ会

2014年6月12日木曜日

二人は若い(昭和10年)  ディック・ミネ/星玲子

二人は若い 昭和10年 

作詞:サトウ ハチロー、
作曲:古賀 政男、

歌:ディック・ミネ/星玲子

昭和10年 ( 1935年) 、映画「のぞかれた花嫁」の主題歌として発表され、大ヒットした。


 
 

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会
   高齢者施設ライブ 2014年4月
 貴方とよべば 貴方とこたえる
山のこだまの うれしさよ
「貴方」  「なんだい」
空は青空 二人は若い

ちょいととよべば ちょいととこたえる
やまのこだまの いとしさよ
「ちょいと」  「なーによ」
風はそよ風 二人は若い

あのねとよべば あのねとこたえる
やまのこだまの やさしさよ
「あのね」  「なーにさ」
あとは言えない 二人は若い

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2014年5月27日火曜日

この世の花(島倉千代子) 昭和30年

この世の花(島倉千代子)  
作詞:西条八十、作曲:万城目正、歌:島倉千代子
 
昭和30年(1955年)に16歳で本名「島倉千代子」で歌手デビューした。デビュー曲が映画主題歌「この世の花」
 
「この世の花」は雑誌「明星」に連載された北条誠の小説であり、この小説を映画化した。
島倉千代子は2013年11月8日、肝臓がんのため東京都内の病院で亡くなった(75歳)。
 
 
       書生節・バイオリン演歌演奏:昭和ロマンを楽しむ会(書生2名&女学生2名) 

あかく咲く花 青い花
この世に咲く花 数々あれど
涙にぬれて 蕾のままに
散るは乙女の 初恋の花

想うひとには 嫁がれず
想わぬひとの 言うまま気まま
悲しさこらえ 笑顔を見せて
散るもいじらし 初恋の花

君のみ胸に 黒髪を
うずめたたのしい 想い出月夜
よろこび去りて 涙はのこる
夢は返らぬ 初恋の花 

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2014年3月11日火曜日

ふじの山(文部省唱歌) バイオリン演歌

「ふじの山」 富士の山,ふじのやま,富士のやま

富士山を歌った曲で文部省唱歌。1911年(明治44年)に刊行された『尋常小学読本唱歌(二)』が初出である。
作詞:巌谷小波

2013年、カンボジアのプノンペンで開催された第37回ユネスコ世界遺産委員会において、「富士山」が世界文化遺産に「記載」されること決定された。記載される名称は、「Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration (富士山-信仰の対象と芸術の源泉)」

  バイオリン演歌・書生節演奏: 昭和ロマンを楽しむ会(書生&女学生) 

新春のイベントで「一月一日」(1893年)と「ふじの山」を連続して演奏するため練習したとき出だしのメロディーが似ていることに気がついた。

D調で3小節目まで和音が同じで、「ラーシラ ファ#ミレレ」と 「ララシラ ファ#レミファ#ー」、テンポも同じ。 
「一月一日」(年の始めのためしとて・・・・・)


日本人なら一度は登ってみたい山である。でも二度、三度登るより遠くから眺めるほうがずっといい山だと思った。

あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山


青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠くひく
富士は日本一の山


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2014年2月14日金曜日

満州娘(服部富子) バイオリン演歌・書生節 昭和13年

満州娘(服部富子) バイオリン演歌・書生節 昭和13年     
作詞:石松秋二、作曲:鈴木哲夫、歌:服部富子


服部富子は宝塚歌劇団に所属していたが歌手に転向した。作曲家であった服部良一の実妹







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バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (2014年2月 介護施設において)



曲名は知らなくても「王(ワン)さん待ってて ちょうだいネ」のフレーズは知っている方が多い。


現在、清王朝の末裔である満州民族は中国では少数民族になってしまった。満州語を話したり読めたりする人も少なくなっており、この歌に歌われた満州娘たちはいまどうなっているのだろうか。

2000年の人口調査では中国13億人のうち、満州民族(満族)人口は10,387,958人と、約1%程度しかいない。

私の父は3月に高等専門学校を卒業して銀行に就職したが徴兵猶予がなくなっていたためその年の12月に徴兵されて翌年1月に現役兵として入隊(たった9ヶ月の銀行員)。4月に日本を出港して同月に朝鮮の羅津(ラジン)港に上陸。たぶんそこから鉄道で東満州へ入ったと思われる。 その12月には満州にあった奉天甲種幹部候補生隊へ入隊、その後各地を転戦して終戦まで軍隊にいた。一度も除隊されず職業軍人以外では最古参の下っ端将校であった。軍隊は組織であり、勇ましい軍人だけでなく、父のような徴兵された温和な将校もまとめるためには必要とされたようである。
大変な時代であっただろうが満州は父の青春時代を過ごした場所、今でいえば軍隊が社会人教育、修士課程教育を受けた場所であろうか。
父の軍人手帳には、今はなくなった地名だが満州の「東安」、「密山」の防衛等が履歴に記載されている。以下軍人履歴


(1年目)
1月 (歩兵二等兵) 現役兵として入隊
4月 日本を出港して朝鮮の羅津港経由で朝鮮国境を越えて満州派遣
5月 (歩兵一等兵) 歩兵科幹部候補生に採用
7月 (歩兵上等兵) 甲種幹部候補生を命ず
12月 奉天甲種幹部候補生隊へ入隊
(2年目)
2月 (歩兵軍曹)
6月 (歩兵曹長) 奉天甲種幹部候補生隊卒業 見習士官を命ず
11月 (陸軍少尉)

徴兵から4年目に中尉に昇進、終戦時(昭和20年8月)にポツダム大尉となる。昭和21年3月に博多に上陸し復員、召集解除。

軍歴の地名としては「東安」、「密山」、「奉天」、「旅順」などが出てくる。

満州では真っ白な軍服を着てスキーで歩行訓練をしている写真が残っている。今は中国(漢民族)化してしまっているだろうが満州とはどんな場所であろうか、一度は行ってみたいものである。

奉天:現在の瀋陽市わたしゃ十六 満州娘 春よ三月 雪解けに
迎春花(インチュンホワ)が 咲いたなら
お嫁に行きます 隣村 王(ワン)さん待ってて ちょうだいネ

ドラや太鼓に 送られながら 花の馬車(マーチョ)に 揺られてく
恥かしいやら 嬉しやら 
お嫁に行く日の 夢ばかり 王さん待ってて ちょうだいネ

雪よ氷よ 冷たい風は 北のロシヤで 吹けばよい
晴着(はれぎ)も母と 縫うて待つ
満州の春よ 飛んで来い 王さん待ってて ちょうだいネ

迎春花:黄梅(おうばい)の花

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