2013年7月16日火曜日

真白き富士の根(七里ヶ浜の哀歌) -2-


元女学生には今でも人気のある歌であり、有名歌手のCDも沢山出ている。2010年にはボート遭難事故から100年になる。知らなかったがこの事件は映画にもなったらしい。
2006年6月18日(日)に開催された第一回大正を楽しむ会でバイオリン演歌としてこの曲を歌った。

一応どのキーでどう歌うかいろいろ帝大生として表現学を研究した。
普通はFでドから始まる場合が多いようだ。ダークダックスやソプラノ歌手等有名なプロのほとんどはFで歌っていた。なぜか倍賞千恵子はDで歌っていた。Dで歌うと曲の出だしが低いラの音であり歌いにくい。

やはり、Fで歌っているほうがキーが高く高音がきれいで感じがいい。でもバイオリン演奏はDの方が断然簡単である。レとラは開放弦で、あとは1と2の指がほとんどで3の指は高いレを押さえるときに1回使用するだけである。もちろん、レとラを4の指で押さえることもできるが、Dで演奏する意味が無くなる。
バイオリン演歌師は歌を強引にバイオリン演奏に合わせるということでキーはDに決まった。

   <七里ケ浜の哀歌>
真白き富士の根 緑の江の島   仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに 捧げまつる 胸と心

ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原 風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母      恨みは深し 七里が浜辺

1.”ましろき”は最初が低いラから始まるのではっきりと、鼻声にならないこと。
2.ましろきから富士へ自然に向かって上がっていく。
3.無垢な女学生の気持ちで素直に歌う。小林旭にならない。鼻でこぶしをつけない。
4.6/8であり、ブレスの位置が5拍目と6拍目の間にあるので注意。
5.”帰らぬ十二のー”がサビであり、”のー”はフェルマータになってもならなくてもどこまでも伸びていく感じで。

<概説>
1910年 (明治43年) 1月23日:ボート転覆事故発生、乗っていた12名全員が死亡。
1910年2月6日:逗子開成中学校にて追悼大法会開催。鎌倉女学校生徒らにより、鎮魂歌としてこの歌が歌       われた。
1915年 (大正4年) 8月:レコードが発売された。
1916年 (大正5年):歌詞・楽譜が刊行された。題名は 「哀歌 (真白き富士の根)」。
         このころから演歌師によって一般に広められた。
1935年 (昭和10年):松竹により映画化。題名は 「真白き富士の根」。
1954年 (昭和29年):大映により映画化。題名は 「真白き富士の嶺」。

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