2013年7月14日日曜日

ああ紅の血は燃ゆる(学徒動員の歌) 昭和19年

「ああ紅の血は燃ゆる」<学徒動員の歌>1944年(昭和19) 作詞:野村俊夫、作曲:明本京静

昭和19年に学徒勤労令と女子挺身隊勤労令が公布され学徒動員は法制化され た。学校の工場化である。ペン(勉強)の代わりにくわや槌を持って生産に励めということだった。

20歳以上の文系学生は徴兵猶予がなくなり出兵したが、この歌は工場などに動員された未成年の学徒(徴兵対象外)の歌である。歌は戦後に「歌のおばさん」として知られた安西愛子さんがデュエットで歌っていた。

明本京静は三橋美智也が歌った武田節(1961年)も作曲している。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

軍歌や戦時歌謡は施設などで歌わないほうがいいとよくいわれる。しかし、昭和ロマンを楽しむ会では終戦になった8月にはあえて戦時歌謡を選んで歌ったりしている。

「ああ紅の血は燃ゆる」や「空の神兵」などは皆さんよくご存知で手拍子をしてくれたり、その場に直立して腕を振って歌ってくれたりする表に出ない人気曲である。

この歌を歌うと大変だった当時のことを語ってくれたりして大変参考になる。
どこどこの工場へ行って働いたとか話題は尽きない。
「女学校のとき工場へ動員され工具でアルミの部品を加工していたけど、私たちが作ったあんな部品で飛行機大丈夫だったんだろうか」などいまでも気にかけているのがなんとも昔の方だと思う。
学徒がアルミ箔を巻いたコンデンサーなどはやはり不良品が多く、よくショートしたらしい。

昼はお決まりの勇敢な歌を歌っていても、軍関係者がいないと夜は当時の工員さんたちと「さすらいの唄」や「籠の鳥」など大正時代の歌を皆で歌ったそうである。

1 花もつぼみの若桜 
  五尺の生命(いのち)ひっさげて 
  国の大事に殉ずるは 
  我ら学徒の面目ぞ 
  ああ紅の血は燃ゆる 

2 後に続けと兄の声 
  今こそ筆を投げうちて 
  勝利揺るがぬ生産に 
  勇み立ちたるつわものぞ 
  ああ紅の血は燃ゆる

3 君は鍬とれ我は鎚(つち)
  戦う道に二つなし 
  国の使命をとぐること 
  我ら学徒の本分ぞ 
  ああ紅の血は燃ゆる

当時は文部省だけでなく、軍需省というのがあった時代ですね。

大学時代に、学徒出陣した文系の教授が「お前ら理系の学生は徴兵されなかったんだ。死ぬ気で勉強しろ!」といわれたことが懐かしい。 「僕らにそんなこといわれてもーー」とあまり真剣に勉強しなかったことを今になって後悔しています。

若者は「勉強したくてもできない時代がまた来るかもしれない」と思い、本気で勉強しておきましょう。

昭和ロマンを楽しむ会 帝大生ゆめじ 書生節 演歌師 昭和歌謡 戦時歌謡 昭和の演歌師 平成の演歌師 略帽 戦闘帽 戦斗帽

0 件のコメント:

コメントを投稿