2013年7月15日月曜日

高原列車は行く 岡本敦郎 昭和29年

高原列車は行く

昭和29年(1954)に発売された「高原列車は行く」は爆発的ヒットとなり岡本敦郎の代表曲となった。

岡本敦郎は昔はたくさんいた音楽学校出身の歌手である(武蔵野音楽学校声楽科卒業)。


高原列車のモデルは沼尻軽便鉄道だそうである。昭和43年(1968)に廃止されるまで、沼尻、中ノ沢などの温泉への足としても利用された。沼尻鉄道は、鉱山から鉱石を運び出すトロッコ風の「軽便鉄道」のことで、沿線には裏磐梯や白樺が立ち並ぶ風景があった。


ところが古関裕而は、ヨーロッパの高原列車のイメージで軽快な曲として作曲した。

「高原列車は行く」の歌碑が猪苗代・沼尻温泉にある。


                     「高原列車は行く」     
バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会


作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、歌手:岡本敦郎  Kogen ressha wa iku 

汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる
明るい青空 白樺林
山越え谷越え はるばると
ララヽヽ  ラヽヽヽヽヽヽヽ
高原列車は ララヽヽヽ行くよ

みどりの谷間に 山百合ゆれて
歌声ひびくよ 観光バスよ
君らの泊まりも 温泉の宿か
山越え谷越え はるばると
ララヽヽ  ラヽヽヽヽヽヽヽ

高原列車は ララヽヽヽ行くよ
峠を越えれば 夢みるような
五色のみずうみ とび交う小鳥
汽笛も二人の 幸せうたう
山越え谷越え はるばると
ララヽヽ  ラヽヽヽヽヽヽヽ
高原列車は ララヽヽヽ行くよ 

「汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる」への疑問
どう考えても「ハンケチ振れば」ではなく、観光客がチョコレートやガムを投げたか、小銭(チップ)を投げたのではないかとずっと思っていた。外国船が着いたときに桟橋に集まった子供たちに外国の乗客たちが小さな人形などのおもちゃやお菓子を投げてくれたことを思い出してしまう。

作詞の丘灯至夫は「高原列車は行く」のほかに「高校三年生」や「いつでも夢を」などの大ヒット曲がある。

また、「高原列車は行く」ではなく、「霊柩車はいくよ」という面白い歌も作詞している。なるほど青春時代は高原列車で人生の最後は霊柩車なのだろう。あの世という場所はすばらしいところらしい、見物に行って帰ってきた人がいないぐらいだから。

   「霊柩車はいくよ」(作詞:丘灯至夫、作曲:小林亜星、歌:エノケソ(えのけそ)) 
いろいろ お世話になりました なにかと お手数かけました 
これから行きます 参ります 
ああ あの世というところ 帰ってきた人 いないとこ 
さよなら さよなら さようなら 
霊柩車はゆくよ まいります 霊柩車はゆくよ ゆくよ

書生節 バイオリン演歌 演歌師 昭和歌謡 昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん) 流行歌 昭和演歌師 平成演歌師

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