<どこまでも節>が添田唖蝉坊作詞の大正演歌<どこいとやせぬ(大正3年)>と曲が同じ歌であることを知った。作曲者は不詳とあった。シャンソンの女王である越路吹雪も「コーちゃんのお座敷うた」の中でどもまでも節や東雲節(ストライキ節)、まっくろけ節を歌っている。
また、どこまでも節が千葉県の成田祇園祭でも下座囃子として演奏されていることを知り驚いた。祇園祭にはよく行っていたが気がつかなかった。腹当に股引の若い衆が「華厳の滝」と叫んでいるのがどこまでも節だそうだ。成田祇園祭は笛、太鼓、鉦で演奏し、阿波踊り等とは全く違い三味線はない。
(写真は山車で乗演する下座連)
<お前とならばどこまでも (それ)どこまでも (それ) 華厳の滝の中までも それ! いとやせぬ それ! いとやせぬ あよいしょ!>と<それ!>を入れて明るく元気にはやしている。<いとやせぬ>は同じメロディとテンポで繰り返しており、<日光の>の代わりに<どこまでも>をいれて強調している。地域やお祭り等使用目的によって変わっていったのであろう。
バイオリン演歌でやっていた曲がなおも三味線で俗曲として演奏されたり、祭囃子として演奏されたりして生き続けていることは大変うれしい。まっくろけ節やストライキ節はバイオリン演歌でもやるし、三味線でも聴いたことがあるが、どこまでも節を三味線でも聞いたことはない。一度聞いてみたい。
どこいとやせぬは<御国のためならどこまでもーーーー何いとやせぬ かまやせぬ>とブラックユーモアたっぷりに皮肉っている兵隊ソングだが、どこまでも節は男女関係の歌である。
囃子言葉はその他、<こちゃ いとやせぬ かまやせぬ>と歌っているのもある。
どこまでも節
お前とならばどこまでも 箱根山 白糸滝の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
白糸滝はまだおろか 日光の 華厳の滝の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
華厳の滝はまだおろか 浅間山 燃え立つ煙の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
燃え立つ煙はまだおろか 太平洋 逆巻く怒濤の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
逆巻く怒濤はまだおろか アメリカの ナイヤガラ瀑布の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
ナイヤガラ瀑布はまだおろか アフリカの 照り着く砂漠の中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
照りつく砂漠はまだおろか 北極の オーロラ見ゆる果てまでも とこいとやせぬ かまやせぬ
オーロラ見ゆるはまだおろか 心中して地獄の釜の 中までも とこいとやせぬ かまやせぬ
地獄の釜はまだおろか 極楽の 蓮華の花の上までも とこいとやせぬ かまやせぬ
蓮華の花はまだおろか 奥座敷 電気の消えた四畳半 とこいとやせぬ かまやせぬ
別名カマヤセヌ節ともいい、大正3年頃流行した俗謡で、一種の尻取り言葉に面白みがあるので、歌詞をかえればどこまでも唄いつづけられる。
今は学生のアパートでもふすまで仕切られた四畳半はないだろうし、電気が消えている必要性はないのでは?
佐原系下座囃子 :
端物は、祭礼中もっとも演奏される一般的な曲群である。基本曲以外は、各流派各下座連により独自の曲を持つことも多い。
民謡や端唄などを取り入れる柔軟さを持ち、現在でも新曲を取り入れるという姿勢が見られる。演奏は笛(複数),附締太鼓,鉦,大皮,小鼓(複数),大太鼓で行われる。
端物(はもの):矢車、盾くずし、中山、矢車くずし、新吉野、拳囃子、津島、巣籠りくずし、獅子馬鹿、二編返し、猫じゃ、おやまか、船頭小唄、佐原小唄、佐原音頭、大漁節、松飾り、大和、小見川あんば、串本節、木曽節、どこまでも節、ノーエ節、恋慕小唄、ズンドコ節、ラバウル小唄、鈴舞等
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