2013年7月15日月曜日

里の秋(星月夜)

里の秋(星月夜)  作曲:海沼 実、作詞:斎藤信夫  Sato no aki  又見炊煙

昭和20年12月にNHKラジオ番組で「里の秋」と改題されて川田正子によって歌われた。

「里の秋」は日本の秋を歌った歌である。千葉県民にとっては「千葉の秋」を歌った大好きな歌である。斎藤信夫は千葉県成東出身の詩人であり、船橋市の小学校(国民学校)の教師(訓導)をしていた。

歌詞の内容から、お父さんの無事を祈り、お母さんと二人でお留守番をしている小学生らしい子供のことを歌っていると容易にわかる。しかし、お父さんがどこに行っているのか、また、男の子か女の子かはわからない。子供の頃に歌った時には誰も教えてくれなかった。

昭和16年に斎藤信夫が作ったこの詩「星月夜」は、昭和20年12月にNHKラジオ番組で「里の秋」と改題されて川田正子によって歌われた。この時に3番の歌詞は変更されて4番は削除されてしまった。

元の「星月夜」の歌詞を見ると、お父さんは戦争に行き、お留守番している小学生は男の子であることが分かる。

帝国憲法下において国民の義務として徴兵されて南方に出兵した普通の千葉県の田舎の農家のお父さんだろうと想像する。千葉は栗がたくさん採れて米屋の「栗ようかん」などが有名だが、栗の収穫量は全国7番目である(H21年)。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会 (書生2名&女学生(海老茶式部)2名) 

1番
しずかなしずかな 里の秋  お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ かあさんと ただ二人 栗の実煮てます 囲炉裏ばた

2番 
あかるいあかるい 星の空 鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔 栗の実食べては 思い出す

3番 
さよならさよなら 椰子の島 お船に揺られて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと 今夜もかあさんと 祈ります

今では歌われない「里の秋」の原作「星月夜」  3-4番の歌詞 作詞者、斎藤信夫 (昭和16年)

3番 きれいなきれいな 椰子の島 しっかり護って 下さいと  ああ父さんの ご武運を 今夜も一人で 祈ります

4番 大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな  ねえ母さんよ 僕だって 必ずお国を 護ります

歌詞はすべて冒頭で「しずかな、しずかな」、「あかるい、あかるい」「さよなら、さよなら」と繰り返しているのが印象的である。母親のことを歌っている歌は多いが、「ああ 母さん」は1番だけで2番、3番は「ああ 父さん」と父親を歌っているのがうれしい。

どんなに厳しくても、あるいは酒飲みでいい加減なお父さんでも、自分の意思(志願)ではなく、誰も行きたくない戦争に拒否せずに行ったことを子供として感じていたのかもしれない。

10月末に田舎へ帰ったが地区の軍人墓地は草が生えて手入れがほとんどされてなく、草の中から立派な墓が突き出ていた。戦後67年経って遺族の方はもういらっしゃらないのかもしれない。軍人といっても職業軍人ではなく普通の民間人が徴兵されて戦死したのである。

この頃の男(おのこ)は健康体であれば徴兵されてもちろん大変だったが、女(おみな)たちも大変な決断をしたと母から聞かされた。

女学校を出て結婚適齢期になっても「いいな」、「いいかなあ」と思われる普通の独身男性はどんどん徴兵されて出兵していき、もちろん兄たちも徴兵されていった。娘たちはより安全な徴兵されないような男と結婚するか、徴兵された一般人と結婚するかいろいろ悩んだらしい。

母も女学校の同級生たちも当然かもしれないが「せっかく女としてこの世に生まれてきたのだから」と戦死することも覚悟で普通の人と結婚した。母は、甲種合格で徴兵されていた銀行員の父と結婚した。父は4月に高等専門学校を卒業して銀行に就職したが徴兵猶予がなくなってその年の12月に徴兵されて翌年1月に入隊してその11月には満州にあった奉天甲種幹部候補生隊へ入隊、その後各地を転戦して終戦まで軍隊にいた。たった9ヶ月の銀行員であった。 奉天:現在の瀋陽市に相当

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