2013年7月16日火曜日

新墾の此の丘の上 (第一高等学校寮歌)

昔の寮歌はどんな風にして歌っていたのだろうか。ギターなんかなかったので昔の書生は太鼓、ピアノ、バイオリン、ハーモニカ等で寮歌を伴奏して皆で斉唱していたのだろう。マンドリン伴奏の可能性もある。

本郷にあった第一高等学校は帝大農学部と敷地交換して昭和10年9月に駒場に移転した。そして、昭和12年に寮歌「新墾の此の丘の上」が作られた。

曲が二条白線の学帽をかぶった学生のバイオリンから始まる動画を見つけたので紹介する。東大応援部の演奏と歌である。当時はバイオリンやハーモニカで伴奏してこんな風に歌いだしたのだろうと想像する。バイオリンソロは1.5分程度(0:22 -1:51)。

第一高等学校寮歌 新墾の此の丘の上(昭和12年)
第四十七回紀念祭寮歌( 新墾(にいはり)の)  昭和12年(1937)

        序
新墾(にひはり)の此の丘の上            移り來し二歳(ふたとせ)の春
綠なす眞理(まこと)欣求(と)めつゝ    萬巻書(よろずふみ)索(さぐ)るも空し
永久(とこしへ)の昏迷(まよひ)抱きて  向陵(をか)を去る日の近きかな

        追懐(おもひで)
一、
旗薄(はたすすき)野邊に靡きて    片割れの夕月落ちぬ
燦(きらめ)きの星は語らひ      微香(ほのかを)る大地(つち)囁けど
玉の緒は繋ぎもあへず         ひたぶるの男の子の苦悩(なやみ)
三(みつ)の城燈(ひ)も消えゆけば  逝きし友そぞろ偲ばる

二、
ひた寄する沈淪(ほろび)の中を  甦生(たちかへ)る制覇の戰
祝(ほぎ)歌ふ若人の頬(ほ)に  一條(ひとすじ)の涙滴(しずく)す
望月の盈つれば虧くる       嘆にも橄欖(オリヴ)の梢
仰ぎつゝ光榮(はえ)ある城を   動揺(ゆるぎ)なく守(も)り行かんかな

        結
思出は盡きず湧きくれ       逼り來ぬ別離(わかれ)の刻(とき)は
玉蜻(かぎろひ)の夕さり來れば  暮れ殘る時計臺(うてな)めぐりて
集ひ寄る和魂(にぎたま)の群   壽(ことほぎ)の酒掬まんかな

駒場への移転
1924(大正13)年3月  駒場移転の可否を生徒大会にかけ、移転の決議文を満場一致可決、9月に一高と東京帝大間の敷地交換協定調印
1935(昭和10)年 9月14日 駒場移転 南・中・北の3寮を開く
1938(昭和13)年 11月 1日 一高創立60周年記念式典を挙行

書生節 バイオリン演歌

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