2013年7月17日水曜日

嗚呼玉杯に花うけて(第一高等学校寮歌) 明治35年


フォーク以前から演歌師は自分たちで曲を作りその歌を歌う自作自演であった。もちろん、この寮歌もプロではなく、一高の寮生が作詞、作曲をした。

「嗚呼玉杯に花うけて」は明治35年(1902年)に作られた 「第12回紀念祭東寮寮歌」である。矢野勘治 作詞、楠正一 作曲で原曲は長調だったが、短調化して広まったようである。今は東大の応援団も短調で歌っている。
もちろん、われわれも短調のCmかDmで演奏しているが、仲間の演歌師1名だけがいまだに長調でかたくなに演奏している。

当時は、第一高等学校の学生以外に、番頭さんも小僧さんもほとんどの方がよく歌ったようである。そして、この曲を流用した替歌がたくさんできた。後からできた地方の高等学校の寮歌にも似ている曲がある。
大阪高等学校全寮歌「嗚呼黎明は近づけり」を歌い出すといつも「嗚呼玉杯」の曲がが頭に浮かんでくる。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

<ああ玉杯に花うけて(第一高等学校東寮寮歌)>

ああ玉杯に 花うけて   緑酒に月の 影やどし
治安の夢に ふけりたる  栄華のちまた 低くみて
向ヶ岡に そそりたつ   五寮の健児 意気高し

芙蓉の雪の 精をとり   芳野の花の 華をうばい
清き心の ますらおが   剣と筆とを とり持ちて
ひとたび起たば 何事か  人生の偉業 成らざらん

われわれは「治安の夢にふけりたる栄華のちまた」でのほほんと暮らしていたのかもしれない。
平和ぼけした一般国民や政治家、官僚などの特権階級がこのような大災害が起こることは「想定外」にして、ライトアップしたり、都心近くの海を埋め立てたりして便利に暮らしていたことを実感した。

夜は暗いもの、子供の頃は「暗くなったら帰れ!」、「夜に用事をするな」とよくいわれたものである。以前からなぜ夜に「ライトアップ」するのか理解できなかったんだがーーー、そのことを忘れていたが電力不足で思い出した。

「向ヶ岡にそそり立つ 五寮の健児意気高し」とあるのは、当時一高が向ヶ岡すなわち本郷弥生町(現在の東大農学部)の丘陵にあったことによる。その後帝大農学部との交換で、一高は昭和10年に本郷から駒場へ移転した。

嗚呼玉杯に花受けて 旧制一高寮歌 日本寮歌祭2010

矢野勘治:「春爛漫の花の色」「嗚呼玉杯に花うけて」を作詞
楠 正一:「嗚呼玉杯に花うけて」を作曲

ああ玉杯に花うけて 書生節 バイオリン演歌 大正演歌 演歌師 昭和の演歌師 平成の演歌師

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