2013年7月15日月曜日

酋長の娘(私のラバさん) 石田一松  <書生節>


「酋長の娘」(私のラバさん)は、演歌師である石田一松が作詞・作曲したコミックソングである。昭和5年(1930)にポリドールから発売された。富田屋喜久治、中村慶子、新橋喜代三などが歌っていた。

石田一松の作詞・作曲と-いうことになっているが元歌は旧制の高知高校の寮祭であった。

当時、日本は大変広く、ミクロネシア(Micronesia)は第一次大戦後に日本の委任統治領となり「南洋群島」と呼ばれていた。

昭和初期の歌であるためか、「酋長の娘」にも「東京行進曲」などと同じように英語の単語が入っている。わたしのラバさんの「ラバー(Lover)」は愛人、恋人という意味-である。

バイオリン演歌・書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会(帝大生ゆめじ&青空ぴーまん)

<酋長の娘(わたしのラバさん)>
わたしのラバさん 酋長の娘
色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る

踊れ踊れ どぶろくのんで
明日は嬉しい 首の祭り

踊れ踊れ 踊らぬものに
誰がお嫁に 行くものか

昨日浜で見た 酋長の娘
今日はバナナの 木陰で眠る

戦後の話だが、昔の新入社員歓迎会では新人の女性社員が腰みのをつけて「酋長の娘」を歌い踊ったそうである。

ゆめじの新人時代には、歓迎会で女子社員が「レナウン ワンサカ娘(レナウン娘)」を水着ではなかったが短パンに浮き袋をもったり(プールサイドに夏がくりゃ~)、テニスウエアを着たり(テニスコートに秋がくりゃ~)して歌い踊っていた。これはかなり評判だったので「酋長の娘」も大人気だったと思われる。

そういえば、「ひょっこりひょうたん島」を振付けて踊っていたグループもあったが子供会ではないので余り人気はなかった。

当時は「冒険ダン吉」という漫画も大人気であった。冒険ダン吉は、講談社の「少年倶楽部」に連載された島田啓三の漫画作品である(昭和8年ー14年)。
南の島に漂着した少年、ダン吉が最後には南の島の王(酋長)になるという痛快冒険漫画で田河水泡の「のらくろ」と人気を二分した。

「酋長の娘」や「冒険ダン吉」には今では差別的と思われる表現が使用されている。

演歌師 石田一松



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