2013年7月15日月曜日

復興節 (書生節) 大正12年


大震災復興の応援歌である。関東大震災で浅草十二階(凌雲閣)は8階部分より上が崩落した。

1923年(大正12年)に、東京節(パイノパイノパイ)などで知られる演歌師の添田さつき(添田知道、添田唖蝉坊の息子)が作詞し、関東大震災後の人々を励ました歌であ­る。明るく威勢のいいこの歌は大変流行し、替え歌もたくさん作られた。
清楽曲「紗窓」(さそう)が原曲である。

阪神大震災(1995)や東日本大震災(2011)でも歌われている。この歌が作られて100年も経たないうちに3回も歌われたことになる。

NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」でも復興節を歌っている場面があって最近少し話題になった。終戦直後の焼け野原であった東京(帝都)復興を願ったものだろうか。

「 梅ちゃん先生 」 第24話 2012年4月28日放送
<片岡鶴太郎演じる隣のおじさん(安岡幸吉)がのど自慢大会で歌うシーン>
お隣の安岡幸吉(安岡製作所経営)がのど自慢に出場することになり、お隣さんと梅ちゃん宅(下村家)でラジオをみんなで一緒に聴く。お父さんののど自慢を聴こうとしないお隣の息子(信郎)に、「家族が応援しないでどうする!」とお説教して連れてくる梅ちゃん。お隣の息子も一緒にラジオを聴く。幸吉は悩んだ末に歌を「あきらめ節」から「復興節」に変更して歌う。皆さん感動!
  「蒲田復興エーゾ エーゾ!」

大正12年の歌であるが、元歌は清楽曲の「紗窓 」(さそう)である(清の時代の歌!)。中国語の歌が日本に伝わって民謡になったりかなり明治時代から影響を与えていたようである。

【清楽月琴生演奏】 紗窓(長崎民歌版)

バイオリンを用いる前の流しは月琴を使っていたそうであるが、やはり音が小さいのでバイオリンに取って代わられ、今はギターやアコーディオンになってしまった。

書生節演奏:昭和ロマンを楽しむ会

<復興節(書生節) >
家(うち)は焼けても 江戸つ子の
意気は消えない見ておくれ アラマ オヤマ
たちまち並んだ バラックに
夜は寝ながらお月様ながめて エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

騒ぎの最中に生まれた子供
つけた名前が震太郎 アラマ オヤマ
震次に震作 シン子に復子
その子が大きくなりや地震も話の種 エーゾエーゾ
帝都復興 エーゾエーゾ

大風呂敷であった復興院の後藤新平のことも歌われている。
東日本大震災と同じような政府のドタバタ対応が関東大震災時の復興節にもすでに歌われていて面白い。
「お膳立てばかりで御飯もたかずに エーゾ エーゾ バラック内閣 エーゾ エーゾ」

チンチンドンドン復興院
鐘だ太鼓だ鳴り物入りよ アラマ オヤマ
御膳ならべてチンドンドン
大きな風呂敷ふしぎな風呂敷 エーゾ エーゾ
のびたりちぢんだり エーゾ エーゾ

風呂敷ひろげてコノサイだ
風呂敷たたんでコノサイだ アラマ オヤマ
何でもコノサイコノサイだ
お膳立てばかりで御飯もたかずに エーゾ エーゾ
バラック内閣 エーゾ エーゾ

東日本大震災 復興節(替え歌)
東京復興 阪神復興 東北復興 東日本復興 Song of Reconstruction
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